「夢」を見ることが好きな人間の行く末
最近、とてもよく寝る。休憩中も寝る。寝ても眠い。それでも寝ることへの欲求は絶えることがない。
夢の中はとても居心地がいい。
現実世界よりも文明が発達していて楽しい。
恐怖を感じることもあるが、そのほとんどは自由だ。
ただ、もっと自由に夢を見たい。
現実の世界では「これは夢ではない」と簡単に判断できるのに対し、夢の中では「これは現実ではない」と判断できないのがとても悔しい。
1度だけ夢を自由に見たことがある。
現実では想像できなかったこと、不可能だと思ってたことが次々と解明され物凄いスピードの情報量で展開する。
そういう夢を明晰夢(めいせきむ)という。
この状態時に、現実世界でこれを発表すれば私はノーベル化学賞ものだと確信したのだったが夢は夢なもので、起きたら何も思い出せなかった・・・
この明晰夢を見るには“夢を自覚する訓練”が必要となり、できるだけ夢の内容を記録することにより「これは夢だ」と自覚できるようになる“らしい”が、私の場合は金縛りを無理やり解くかのような気合であった。
この明晰夢は2000年に入る前から実験や研究が進んでおり、今ではもっと進歩し身近なものとなっているのであろう。
ただ、本来睡眠というのは脳を休ませるものであるため、覚醒状態である明晰夢を見ることによって脳への負担が増えるのは多少の危険性をはらむので気を付けたいところだ。
夢とは本当に興味深い。
こんな夢を見た、あんな夢を見たといって、これは何か意味があるのではないかと必死に調べる。
そんなことをしたからといって結局何が起きるわけでもないが、やっぱり人は夢を見続けるのが好きな生き物だ。
まあ、そんな好きな夢も死んでしまえば、ずっとこんな感じで見続けるんだろうなと思うと、この現実世界こそが夢なのかなとも思う。
「すいません、ごめんなさい」と謝るくらいなら、最初から謝るようなことをしないことだ
たとえばの話、待ち合わせをしていた時間に遅刻をするということは、時間の長さに関わらず良くないということは世界共通のことだと思う。
待たせる側のメリットはどうでもいいとして、待つ側には連絡があったとしても一切メリットは見当たらない。
ただ、もちろんどうしても遅れてしまうことはある。
・電車の遅延
・寝坊
・時間や場所を間違えた
・急な予定が入った
など、私にも経験があり仕方のない場合が出てくる。こういった場合は理解できるとしても、これをいいことに常習化している人の場合となると当然話が違ってくる。
こういう人の心の中を覗くと、
・この人は(なら)遅れても大丈夫な人
・この人は謝れば大丈夫な人
・この人ならどこまでなら大丈夫なのかな?
といった失礼な認識が見え隠れしてしょうがない。そういう認識にさせている側に問題があるのならば、それは別だが、そうでない場合であれば約束した時間というのは必ず守るはずである。
これは遅刻に限らず、日常会話でもそうだ。
ちょっと失礼なことを言ったり聞いたりして「すいません」と謝るくらいなら、最初からそんなことをしないことだ。
そんな人は下手に出ているようで実は対等な関係だとさえ思っていない。
謝るくらいならその発言にしっかりとした根拠と責任を持ち、謝らないほうがまだ筋が通る。
「すいません」や「ごめんなさい」は時として関係修復への言霊となるが、それを安易に使用しコミュニケーションの一貫と勘違いしている人とは距離を取ったほうがいい。
そういう人は必ずと言っていいほどトラブルメーカーだ。
新型コロナウイルスの影響でマスク争奪戦が勃発。競争は燃えるタイプだが、こういう競争は静観するタイプだ。
中国、武漢市から広がりをみせる新型のコロナウイルス。人から人への感染が起きているとされており、最大14日間といわれる潜伏期間中でも感染の可能性があり、世界的なパンデミックは避けられない状況だ。
日本での感染も確認されており、いよいよ感染拡大が懸念されるなか一つ気になることが身の回りで起き始めている。
マスクの買い占めだ。
噂によると、マスク会社から安定供給ができなくなるため、店舗側に販売を煽らないよう“お達し”が来ているようだが、もうすでに品切れ状態の店舗がチラホラと・・・
日本企業が中国へマスクを寄付したという報道もあり、現地へ送るための人なのか分からないが、明らかに個人的な理由で買い占めている人々が多いような気がする。
フリマアプリを覗いてみると定価の何倍ともなる価格で販売されており、いやはや商売上手というか・・・呆れるばかりだ。
店頭からマクスが消えるのも時間の問題となり、本当に必要な人にマスクが届かないといった状況を考えない一部の人には白い目で見たくなる。
私は競争や争いごとには燃えるタイプなのだが、こういう争いごとは静観するタイプだ。
たとえそれによって負けたり、死んでしまっても構わない。
私は孤高に生きたい。
イギリス王室からの離脱を表明したヘンリー王子が感じる報道記者による“しつけ”の悪さ
イギリス王室からの引退を表明したヘンリー王子(35)。2020年1月8日、突如「主要王族の立場から引退し、一家で英国と北米を行き来しながら生活する」とインスタグラムで発表。
滞在先となるカナダ、バンクバー島にてメガン妃と長男アーチーちゃんを連れ、一家で平穏な日々の暮らしを望んでいます。
この背景には、ヘンリー王子の母である故ダイアナ妃(36歳没)による波乱の人生が強く影響しており、常にパパラッチに狙われメディアに晒され続ける日々に終止符を打つべくカナダへと移住したのではないかといわれています。
ヘンリー王子夫妻は王室からの自立を目指しているようですが、年間10億円規模といわれる警備費用が問題となっており、経費の95%は父のチャールズ皇太子から、残りの5%は国民の税金から出る王室助成金となっています。
夫妻はこの王室助成金を辞退する考えではあるが、主な経費を出しているチャールズ皇太子は「金銭的な合意は夫妻が王室で務める役割次第である」と述べている。
滞在先のカナダには連日多くのメディアやパパラッチが駆けつけ、まだまだ平穏な日々とはいかない状況が続いています。
というナレーションの後に・・・
「ご覧ください!あちらに見えるのがヘンリー夫妻がお住まいの豪邸になります!」
と報道する記者・・・
おいおいおいおい、それを止めてほしいということをあなた方が報道してるんでしょ!
と、思わず突っ込んでしまうほどの無神経さである・・・
別にヘンリー王子夫妻の豪邸など我々庶民が知る必要もないし、わざわざ現地まで行き報道する必要もないと思った。ひっそりと暮らしたいのであれば、せめて理解あるテレビ局だけでもそっとしてほしいと感じる一幕であった。
これに限らず記者というのは、本当に“しつけ”がなっていないと感じるのである。
そんな偉そうなこと言っている私だが、一度だけ厄介な事件に巻き込まれ取材を受けたことがある。
どこから嗅ぎつけたのか急に職場に押し掛け、こっちの都合など全くお構いなしで取材させてほしいとしつこく迫る記者たち。
こっちは被害者だよ?
それでも配慮ある記者の取材を受けたら受けたで、まったくこちら側の言いたいことを言わせてくれない。
要は番組用のコメントがほしくてしつこく誘導尋問を繰り返し、まるで台本があるかのようなコメントをされられるのだ。
こういった記者のモラルは度々問題となるが、取り締まる機関でもないとまるで収まる気配は無い。
これは受けた人にしか分からないものだと思うが、いまこうやってひっそり暮らしていけるだけでも幸せなのだということを、ヘンリー王子の分まで噛み締めたい。
「あなたのために」という“おせっかい”と、「自分のために」という“不可思議現象”
去年のクリスマスのこと。
普段あまり見かけることのないお客様と職場の女性が何やら話し込んでいるのを見かけた。
そのお客様は、ものごしの柔らかい老人で特に問題があるような感じには見えなかった。
しばらく様子を見ていると、どうやらその女性に“あるもの”を渡したかった様子だったが、最後まで見ることはせず私は業務に移った。
あとから、その女性に話を聞くと、お客様から「クリスマスカード」をプレゼントされたということを話してくれた。
「ふ~ん・・・」とだけ思ってその日は終わったが数日経ったある日、「白い封筒」が控え室に置かれているのに気づく。
何であろうコレは?と中を開けると「クリスマスカード」であった・・・
あの時の・・・
そのクリスマスカードに描かれた文字と絵は、手作りで作成されており、どこか教室にでも行き習ったかのような出来映えだった。
書き手の想いが溢れ出るような優しいクリスマスカードであった。
そこには、「あなたのために」という文章から始まっていた・・・
が、それ以上は深く見ることはせず封筒へ“そっと”しまった。
内容から推測するに恐らく、特定の人物へ贈ったものではなく、何枚も用意し不特定多数の人へ贈ったものであろうと思った。
だが、この様子を見ると貰った女性には、どうやら必要のない“もの”と、私には映った。
双方の気持ちを理解しながらも処分に困る私・・・
考えた末、丁重にゴミ箱へと入れるしかなかった。
とんだ、とばっちりである・・・
捨てなきゃいいという状況ではなかったんですよね…
今回の件を自分の経験に例えるならば、どんなに応援している芸能人が「視聴者のために」と、叫んだところでピンと来ないものである。
それよりも、その人が自分の私利私欲のため、無我夢中になっている姿の方が、視聴者に刺さる場合がある。
こんな不可思議現象は職場でも存在し、
早く帰りたいから・・・
自分はこうしたいから・・・
自分のためだから・・・
というときこそ、何故か感謝されるものである。
こう考えると「あなたのために」という言葉には、その人物の下心が映りやすい傾向なのかもしれない。
ただ唯一、その言葉に「本物」というものが存在するというならば、子と親の関係くらいしかないのかもしれない。
「節分」とは何なのか?これだけは知っておきたい日本の伝統文化
節分(せつぶん、せちぶん)とは、雑節(ざっせつ)の一つで、各季節の始まりの日(立春、立夏、立秋、立冬)の前日のことで、「季節を分ける」という意味があります。(雑節とは、彼岸や土用など季節の移り変わりを的確に掴むために設けられた特別な暦日のこと)
江戸時代以降から立春の前日を指すことが多く、毎年2月3日が節分の日と言われていますが、実は常にそうではありません。
説明が難しいので割愛しますが、要は2021年から閏年(うるうどし)の翌年が2月2日になるとあるので、2025年は2月2日となります。
季節の変わり目には邪気(鬼)が生じると考えられており、それを追い払うために「鬼は外、福は内」と福豆を撒き、年齢の数(数え年)だけ豆を食べ厄除けを行います。(鬼を祭神または神の使いとしている神社などでは「鬼は外」ではなく「鬼も内」としている。また丹羽という名字の方もいるため「鬼、外」という地域もある。)
豆には「生命力と魔除けの呪力が備わっている」と言われ、語呂合わせで「魔目(まめ)」を鬼の目に投げつけて追い払い一年の無病息災を願うという意味があります。(豆を炒って使うのは、芽(魔の目)が出ないため)
また、豆を撒くときは鬼が来やすい夜に行い、部屋の奥から玄関に向かって撒くのが基本となります。
地域によっては餅や菓子、落花生、みかんなどを投げるようですが、その理由は意外にも後片付けが豆より簡単だからということらしい・・・
また、柊鰯(ひいらぎいわし)などを飾り邪気除けをしますが、地方や神社によって異なります。
柊鰯とは、柊の小枝と焼いた鰯の頭を玄関に挿したもので、柊の葉にあるトゲが鬼の目を刺し、鰯の臭気と煙で鬼を追い払う意味があります。他にも、鰯の臭いで鬼を誘い、柊のトゲで鬼の目を刺すとも言われています。(鰯だけでなくニンニクやラッキョウを用いる場合もある)
恵方巻とは、節分に恵方を向き無言で一気に食べると願いが叶うと言われており、大阪発祥の風習と言われていますが真相は謎のままである。
起源や発祥は諸説ありますが、どうやら調べると厄除けとは全く関係が無い乙女の事情のようなので割愛します。
また、「恵方巻」という名称は1989年にセブンイレブン舟入店(広島市中区)の 野田氏が「大阪には節分に太巻き寿司を食べる風習がある」と聞いて仕掛けたことにより、1998年頃から全国へ広がり、現在のような広く親しまれる人気商品となった。
それまでは「幸運巻寿司」「恵方寿司」「招福巻」と呼ばれていたが、「恵方巻」と呼ばれていたという文献類は見つかっていない。
最後に
節分という日は、単日で終わってしまう祭事ですが調べてみると、とても奥が深いことがわかります。
また、地域によっても風習が異なるので、その地域の特徴を知るのもいいものです。
これを機に、節分の日を見直すいい“きっかけ”となれば幸いです。
最近“ほくろ”が増えたんだよね・・・その増えてしまう原因と若干の危険性
ふと、鏡に映し出された自分の顔を見て、“ほくろ”が増えているのに気づく。
昔から、こんな場所に“ほくろ”あったかなあ?
なんかこの“ほくろ”、前より大きくなった気がするなあ・・・
と、女性がシミやシワを気にするのと同じように、急な顔の異変に不安になってしまった私。
場所によってはセクシーにも見える“ほくろ”ですが、このまま増え続けたらコンプレックスとなりそうだったので、その原因と予防を調べてみました。
ほくろができてしまう原因
紫外線
一番の原因となる紫外線は多く浴びればそれだけメラノサイト(メラニンを形成する細胞)が活性化され、大量につくられたメラニンが体外に排出されずに残ってしまい“ほくろ”となってしまう原因となります。
生活習慣の乱れ
寝不足やストレス、運動不足や食生活の偏り等により、メラニンの排泄が正常にできなくなり“ほくろ”が形成されやすくなります。また、女性の場合は妊娠・出産など、ホルモンバランスが崩れやすい時期も、メラニンの排泄が正常にできなくなりやすいので注意が必要です。
外的な皮膚への刺激
きつい下着や靴などによる圧迫や擦れ、何らかの作業により同じ部分が擦れるなど、外的な皮膚への刺激により“ほくろ”が増えてしまうことがあります。また、肌荒れ時のメイクや洗顔、髭剃りなどにより引き起こされる可能性もあります。皮膚を掻くクセがある人は注意しましょう。
基本的には健康に害はないものの、どうしても気になるという方は、外出時に帽子や日傘、サングラス、日焼け止めクリームなどを塗り、なるべく紫外線を浴びないようにしましょう。
また、規則正しい生活とバランスのとれた食事も重要となってきます。(メラニンの生成を抑制するビタミンなどのサプリやトマトがオススメ。)
もともと“ほくろ”ができやすい体質の方の場合、そのほとんどは心配の必要がない“ほくろ”の場合が多いですが、まれにメラノーマ(悪性黒色腫)という“ほくろのがん”が存在します。
このメラノーマという“がん”は、形が左右対称ではないという特徴があり、通常の“ほくろ”と違うなと感じたら疑ったほうがよさそうです。
顔以外にも手の平や爪、指などにできる場合があり、特に足の裏にできやすいようです。
また、“ほくろ”に生えている毛を抜いたり刺激したりすることによって、“ほくろ”が大きくなる場合は要注意です。
通常の“ほくろ”が長期的な刺激などにより悪性化するとの説は否定されていますが、やたらむやみに“ほくろ”を刺激しないほうが無難です。
治療
以前はメスを使用した除去法が多かったが、近年ではレーザーでの治療もある。(“ほくろ”を除去するクリームもあるらしいが疑問)
“ほくろ”が出血していたり、隆起してきたりした場合は早急に皮膚科や形成外科にて受診しましょう。
最後に
今回、自分の増えてしまった“ほくろ”が気になって調べたわけですが、他人の“ほくろ”も気になってしまい注意して見てみると結構苦労されている方が多い気がしました。
厄介な“ほくろ”を増やし変異させないためにも今年から私は「日傘男子」です。
毎年7月16日は「駅弁記念日」って知ってましたか?
先週末、新宿を歩いていたら、こんな広告が目に飛び込んできたので悩むことなく潜入してみました。
そもそも駅弁とは・・・
1885年(明治時代)7月16日に栃木県の旅館「白木屋」が、この日開業した日本鉄道宇都宮駅で、梅干し入りの握り飯2個と“たくあん”を竹の皮に包んで販売したのが最初とされております。
よって7月16日は「駅弁記念日」となっており、日本各地でイベントが行われています。東京では毎年、東京駅改札内のエキナカ商業施設で7月1日から31日まで行われているそうです。
しかし、折り箱に入った幕の内風の駅弁となると話は変わってくるらしく、1890年、姫路駅にて「まねき食品」が販売した駅弁が最初であるという説と、名古屋の「服部商店」が1886年5月1日、駅開業当時から弁当の立ち売りを開始していたという説があります。
が、この他にも各地で諸説あり真相は謎のままである。
そんな「駅弁記念日」とは関係のない日でしたが、期待に胸をふくらませ会場へ足を運んでみると・・・
エレベーターの扉が開いた瞬間に嫌な予感がしましたが、もう会場は人、人、人だらけでした・・・
とても長居できる環境ではなかったので5分で撤退です・・・
どんな駅弁会社が出店しているかは、こちらのチラシで。
それでも、なんとかここだけはと、写真を撮ったのが宮城県の牛タン弁当「こばやし」。
以前、住んでいた近くに「こばやし」の会社があったので・・・
それだけです・・・が、この弁当の凄いところは紐を引っ張ると弁当が温まる仕組みになっています。
どういう仕組みになっているのは分かりませんが、東京のスーパーでもたまに見かける「こばやし」の野望は、とどまることを知りません。
今回いろんな駅弁を知ったわけなのですが、よくよく考えたら駅弁を買うときって「行き」の時しか食べていないなということに気づきました。( 私だけ… )
なので東京に住んでいたら東京駅の駅弁ばかりだったなと・・・
そんな私が、いつも購入している駅弁がこちら。
結局、これになるんですよね。
ふたの裏にある“おしながき”を見ながら30品目を食べるのが、これまた美味しいんです。
【元祖有名駅弁と全国うまいもの大会】
京王百貨店 新宿店7階 大催場
2020年1月8日~2020年1月21日まで
午前10時~午後8時まで(最終日は午後6時閉場)
人が人を裁く必要が無いということ
3年前だったろうか・・・
滅多に会うことのない知人と飲む機会があった。
その人物は、昔から“だらしのない”人間で、パッと見、何も取り柄(え)が無さそうに見えるのだが、何故かお金に関しての知識だけは豊富だった。
そんな人間が酔うと、出てくる出てくる“いかがわしい”内容の儲け話。あまりにも難しい内容だったのでついていけなかったが、要するに・・・
脱税だ…
有名人というわけでもなく、何億何千万という金額を脱税しているわけでもないので、国税局の監視の目から逃れられるということだった。
私は心の中で、激しくその人物を軽蔑した。
そんなことで贅沢三昧が許される世の中でいいのかと、国税局に密告することも考えた。
だが、私はしなかった。
なぜなら「人が人を裁く必要はない」と、どこかで聞いたからだ。
「裁く」とは・・・善悪・理非の判断をすること
とあり、ちょっとこれだけでは判断し兼ねますが、恐らく3年前のこの件に当てはまるケースであったと思います。
「人が人を裁く必要はない」
本当に、この言葉は正しかったのかどうか試したかったのだ。
3年が経過した。
もう、そんなこと忘れていた・・・
だが、そんな忘れた頃にやって来た。
どうやら、その人物は借金苦から会社の金に手を出してしまいクビになったらしい。
この結果が本人にとって悪かったのか、それとも良かったのかは分からない。
しかし、自ら手を加えなくとも結果は同じだったということが証明された。
この3年という時間は、その人物と私に一体何を教えてくれたのだろうか・・・
キャッシュレス時代に潜む現金派“あるある”の「闇」
「Suica」「クレジット」「WAON」「iD」「楽天Edy」「Pay Pay」「楽天Pay」「LINE Pay」「Origami pay」「Apple Pay」「Quic Pay」と、今やどこでもキャッシュレス決済が当たり前となり、スマホ一台あればその機能が使える時代となっているのにもかかわらず、まるで神に逆らうかのように現金派でいる私。
時代遅れだ!頑固者だ!と、何を言われようとも現状、現金のままで特に不満がないのだ。(電車の時だけSuicaです)
波に乗ろうと思えばもちろん乗れますが、“あえて”乗っていない、またはメリットを感じていないと、自分では感じています。
そんな時代遅れの男が、あるコンビニに立ち寄ったときのこと。
商品を手に取りレジに並ぼうとすると、何やら先に並んでいた若い男性が“カリカリ”しているではないか。
どうやらその原因は、現在レジで会計中の“おじいさん”にあった。
その“おじいさん”は、小銭を出そうと財布の中に手を入れているのだが、年配ということもあってか、なかなかお金を取り出すことができなかった。
それは、尋常ではない時間が経過していたと思う・・・
しかし、特に急いでもいない私は我慢することができていたが、前に並んでいる男性はそうもいかなかった。
私より長く並んでいたということもあり、明らかにシビれを切らしており、いつ爆発してもおかしくなかった。
ついには地団駄をふみ始め“おじいさん”を威圧してきたのである。そんな一触即発な状況を後ろで見ていた私は、ある程度の覚悟と準備をしていた。
その時である!
・・・
・・・
・・・
“おじいさん”の会計がやっと終わりを迎えたのだった。(ホッ)
なんとか一触即発の事態は免(まぬが)れた私と“おじいさん”だったのだが、これで終わりではなかった・・・
お前もかぁ・・・
心の中で激しく突っ込むほど、この男もまた現金を出すのが遅かったのだ・・・
現金派の方は取り出しやすい財布を選ぶことをお勧めするのと、レジに並ぶ際はあらかじめ小銭を準備しておきましょう。
それができないのであれば、せめてSuicaを持とう…
「ひつじが一匹、ひつじが2匹・・・」いくら“ひつじ”を数えても眠れない理由。それよりも現代人に効果的な快眠方法
いつの間にか日本人の脳裏にすり込まれている“ひつじを数えれば眠れる”という都市伝説。
一度は誰もが試してみたことがあるこのお話ですが…実は日本人にあまり効果が期待できないということが判明しています。
もともとは英語圏での文化で、「sheep(ひつじ)」が「sleep(眠る)」に似ていることから眠りを誘発させるという言葉遊びです。
「one sheep、two sheep・・・」(わんしぃ~、とぅしぃ~・・・)
というように、単調で深く息を吐きやすい「sheep(ひつじ)」の発音を繰り返すことで眠りやすくなるという仕組みになっています。
なので、いくら日本語で「ひつじ、ひつじ」と言っても逆効果となります。( 納得… )
では、どうすれば“すぐ”眠ることができるのか?
「快眠グッズ」などもあり方法は人それぞれですが、現代人に一番ぴったりなのはスマホを見ないことです。
簡単なことです。見なきゃいいんです。でも、なかなかできないですよね・・・
そこで私が最近やっていることは、スマホの電源を切ったり別の部屋に置いたりして、なるべくスマホと距離をとるようにしています。
そうすることによって、“アッサリ”眠れるようになりました。
簡単便利なアイテム(人)が、一番のクセ者ですよ・・・
効果絶大!一瞬で“しゃっくり”を止める方法
最近、職場の人が突然の「しゃっくり」で困っているのを目撃した。
そこで私は、10年以上前から知る方法を試し一瞬でその人を救うことに成功した。
この方法は当時の知人から教えてもらったもので、色んな人に試してみましたが、過去100発100中、確実に一瞬で止まります。
その前に「しゃっくり」と「ひゃっくり」では「しゃっくり」のほうが正式のようです。
しかし、「ひゃっくり」でも間違いではないようです。
他にも「さくり」と呼ぶ地域もあるようですが、私はいまだかつて聞いたことがありません。
さて、この「しゃっくり」を止める方法ですが・・・
・酢を飲む
・目をこする
・息を止めて水を飲む
・舌を指で引っ張る
・・・と、調べると色々あるようですが、なかでもユニークだったのが、
両耳に人差し指を30秒入れる
という方法。私は試したことがないので効果のほどは分かりませんが、試したことがある人に聞くと「止まらなかった・・・」と証言しております。
いままで私は「息を止めて水を飲む」や「舌を指で引っ張る」といった方法を試していましたが、なかなか止まらず困っていました。
今回紹介するのはネットで調べれば出てきますが、確実に「しゃっくり」を一瞬で止められる方法です。
①立ったままたっぷりの水が入ったコップを持ちます。
②そのままお辞儀の姿勢をします。
③親指側ではなく人差し指側の“ふち”に上唇をつけ、口の上のほう(硬口蓋、こうこうがい)に流し込むようにして一口だけ飲みます。
※かなり不自然な飲みかたです。
以上。
これで止まらなったケースは一度もないので、いまのところ個人的に100%の方法です。
お試しあれ。
で・・・結局、KENTAが何を言いたいのかっていうと・・・
ここ最近、選手間によるTwitter上でのバーチャルプロレスが確立しようとしているなか、今もっとも注目を集める選手がいる。
そう、KENTAだ!
あの内藤哲也が「彼はSNSの使い方が上手い選手」と表現するように、的確な挑発を対戦相手に対して投げかけるのが非常に上手い。
しかし、それだけが注目を集めている理由ではない。
通常、有名人というのはSNS上に書かれるアンチコメントに対して、相手にするということは非常に少ない。
だが・・・
KENTAの場合、それに対して容赦ない突っ込みが入る。
見ているこっちはハラハラしてしまうが見方を変えれば、ヒールに限らず新しい形のファン獲得のヒントを教えてくれているのかもしれない。
それでも、KENTAにはそんなことしてないで、試合に集中しろよ!っという方もいますが、
試合“ありき”でやっている
昨年、NEVERの調印式でこのように語ったKENTA。
この言葉はノリで出た言葉ではないと私は思う。よく、KENTAの試合は“しょっぱい”と言われがちだが、2019年8月10日、日本武道館で行われたKENTA vs ザック・セイバーJr.との一戦はどうだろう。
両者の関係性は全く知りませんでしたが、どう見ても訳ありな魂と魂が、ぶつかり合う印象的な試合だったと思う。
こういう試合は毎回できるものではなく、選手間のドラマだったり色んなことが重ならないと噛み合わないものです。
正直、花形である内藤哲也やオカダ・カズチカ、棚橋弘至の試合でさえ何十回、何百回も見てしまえば残念ながら飽きがやってきてしまう。
しかし、そこにファンと選手が繋がる新たなプロレスの楽しみ方が生まれたらどうだろうか?
まだまだ未知なる可能性が広がっているプロレス。
その新たな扉をこじ開けようと試みたKENTAの嗅覚と覚悟は、お見事でしかない。
今回、KENTAには東京ドームでの一件もあり批判的なコメントが絶えないですが、まあ結局、何が言いたいのかっていうと・・・
そういうセンスをKENTAは今、求めている。
おめでとうヨシハシ! https://t.co/oDzD8X9Atl pic.twitter.com/w04YBGNe1K
— KENTA (@KENTAG2S) 2020年1月7日
これは昨年、KENTAがYOSHI-HASHIに向け“ブス”と言い放った言葉ですが、それをこのタイミングで引用してきたあたりが素晴らしいセンスの持ち主ですよね。
そして、それを拾うKENTAも。
いや~笑った笑った。
YOSHI-HASHI選手には申し訳ないですが・・・
「おいぬ様」と「徳川家康の御霊」が祀られている武蔵御嶽(むさしみたけ)神社に行ってみた
新宿から電車で2時間、御嶽駅からバスとケーブルカーを乗り継ぎ、御岳山の山上にある武蔵御嶽神社に行ってきました。
この神社は、おいぬ様を祀(まつ)られていることから近年、ワンちゃんを連れた参拝客が増えてきている神社です。
正確には日本狼らしいですが・・・
まずはJR青梅線、奥多摩方面行きの御嶽駅に到着です。ここから15分ほどバスに乗りケーブルカー乗り場(滝本駅)まで行きます。
でも、ちょっとその前に・・・
御嶽駅周辺の景色が綺麗なので寄り道です。
御嶽渓谷(みたけけいこく)
ここは多摩川沿いの遊歩道となっており、自然を満喫しながら散歩したい方には“ぴったり”の場所です。
この日は、午前7時くらいの様子ですが、昼になるにつれカヌーをしている人達で溢れ出します。
また、秋には紅葉が深まり、庭園とは一味違う自然の風情を感じることができます。
写真には写っていませんが、左に椅子が設けられています。ここで食べる弁当は、たとえ安くとも高級レストランでは味わえない、どこか懐かしさを感じさせる世界が広がります。
武蔵御嶽神社へ訪れるのは今回で2回目ですが、この場所は(御嶽渓谷)過去10回を超えています。
人気(ひとけ)が少なく、とても落ち着きます。
ここは以前、橋が掛かっていましたが、台風の影響でしょうか?立ち入り禁止になっておりました。
この橋を渡った先にある喫茶店と資料館での思い出が、橋と共に自然の力で流されてしまった気分になりました。
気分を変え、遊歩道を御嶽駅から沢井駅方面へ歩くと飲食ができる場所に辿り着きます。
川の流れを堪能しながら、「そば」や「おでん」の魅力を楽しむことができる人気スポットです。
では、バスに揺られケーブルカー乗り場に向かいます。
完全に周りの人とは違い、場違いな格好をしてきた私ですが、登山をするわけではないので何も問題はありません。
滝本駅に着くと、いましたワンちゃんが!
改札で順番待ちをしているワンちゃん。なんとも珍しい光景です。
ちゃんと、ワンちゃん専用の切符も存在しています。
ワンちゃんと一緒にケーブルカーで御岳山を登り御岳駅に到着です。
御岳駅には売店や喫茶店が複数並んでいます。一番、目に入りやすいのは「団子屋」だと思いますが、六義園の時と同様に“しょうゆ味”はとてもしょっぱいです・・・
別の味をお勧めします。
さあ、ここからは参道を歩き武蔵御嶽神社へ向かいます。
御岳駅から武蔵御嶽神社までの参道は20分くらいでしょうか。
非常にキツイ坂道が続きますが、子供たちは元気いっぱいです。
この場所は民家も存在していますが、スーパーなどは当然ながら見当たりません。どうやって生活しているのか気になります。
道中、立派なお店が目を惹きます。しかし、まだまだ“ひよっこ”の私では後ずさりしてしまいます。
対照的にこちらは入りやすいお店が並んでいます。
写真にある景色の良い場所で食事をすることができましたが、あまりにも早い時間だったため「そば」しか対応できないと言われてしまいました。丼ものが食べたかった・・・
やっと辿り着きましたが、ここからは皆悲鳴を上げる地獄の階段です。
そして、その先に威風堂々と構える朱色の本殿。
簡単に来れない場所なだけあって皆、とても長い時間お祈りをしておりました。
なにか、もの凄く光っていますが、そんな部分あったかな???(加工しておりません)
ともあれ縁起が良さそうです。
そして、この旅の途中から気づいた大きな目的。
徳川家康の御霊が祀られている東照社を拝むことができました。非常に小さな社ですが、この質素なたたずまいがまた徳川家康っぽさを感じさせます。
御霊とは・・・神霊や祖霊を尊んでいう語。
祀るとは・・・飲食物などを供えたりして儀式を行い、神を招き慰めたり祈願したりする、また、神としてあがめ、一定の場所に安置すること。
どういう経緯でここに社があるのか分かりませんが、いつ拝見しても葵(あおい)の家紋には、ただならぬ風格が漂います。
隣には天皇陛下御即位記念樹が植えられ、ミカドに対する徳川家康の姿勢が現代にも尊重されております。
目的を終え、こちらは帰りの光景です。お昼くらいでしたが駐車場は満車で、長蛇の列ができていました。
訪れるなら、やはり早朝がベストでしょう。
こちらは、御嶽駅に設置されている暖房の椅子です。
外は非常に寒く体力的にも疲れましたが、この椅子の温もりと暖かい日差しを受けながら目の前に広がる雄大な景色を眺めていると、そんなことさえ忘れてしまうほどのイイ一日だったと振り返る私でした。
宇多田ヒカルが語る「落とし物の世界」の奥深さ
宇多田ヒカルが、正月特番の“マツコの知らない世界SP”に出演していました。
「なぜ、ここに来たの?」
と、マツコに突っ込まれておりましたが(同感)そこには歌手として成功をおさめた宇多田ヒカルだからこそ生まれた「落とし物の世界」が広がっていました。
普通こういう方は金目の“もの”をインスタにアップしがちですが、宇多田クラスになると一味も二味も違ってきます。
「落とし物」かよ・・・
と、最初は思っちゃいましたが、この「落とし物の世界」・・・
知れば知るほど実は奥が深い。
「本来あるべき場所ではない場所に置いていかれてしまった物に共感するから」
と語る最初の出逢いは、「関西マニアック人妻投稿8」から始まります。
また、写真に残すのは、
「面白いなって思うもの、なんだかかわいそうだなと思うものだけ撮ります。申し訳なさそうというか、所在なさげで…本来たどるべきはずだった運命からこぼれ落ちてしまったという、予期せぬ出来事を甘受せざるを得ない、ただ置いていかれてしまった物、誰にも目もくれられずにいる物に共感するんです。」
放置されたピザや窓際に置かれたケチャップ等、普通の人なら気にも止めないような「もの」がどうしても気になるようだ。
なぜ落としたのだろうと想像が膨らみ、拾った人だけが味わえる空間が好き。また、それが自分に重なる。
前世からの記憶なのか、現世の状況がまさにそうなのか、それ以上は立ち入れない領域だが、私は「落とし物」を見てそのように感じたことは一度もなかった。
だから意識してやってみた。
やってみた結果、これが以外と難しい。
ゴミはよく落ちているが、「落とし物」となるとこれがなかなか簡単には見つからない。
単に“見つけにいく”というものではないと感じた。
そんななか、やっと出逢った「落とし物」がこちら。
参拝中、“よっこいしょ”とベンチに腰掛けた際に目に入った「落とし物」。
落ちてはいませんが、本来あるべきではない場所に置いていかれたものです。
正直、素人がこれをやったところで、猿にスマホを持たせるようなものでありますが、新しい世界を教えてくれた宇多田ヒカル。
彼女であるならば、いったい何を感じていたであろうか。
ここからは私の勝手な想像ですが、本来行くべきだった世界に行くことができず、なんらかの理由でこの地球に降り立った宇多田ヒカル。
その日まで、宇多田ヒカルという人物はいくつもの世界を今も旅し続けている。