「あなたのために」という“おせっかい”と、「自分のために」という“不可思議現象”
去年のクリスマスのこと。
普段あまり見かけることのないお客様と職場の女性が何やら話し込んでいるのを見かけた。
そのお客様は、ものごしの柔らかい老人で特に問題があるような感じには見えなかった。
しばらく様子を見ていると、どうやらその女性に“あるもの”を渡したかった様子だったが、最後まで見ることはせず私は業務に移った。
あとから、その女性に話を聞くと、お客様から「クリスマスカード」をプレゼントされたということを話してくれた。
「ふ~ん・・・」とだけ思ってその日は終わったが数日経ったある日、「白い封筒」が控え室に置かれているのに気づく。
何であろうコレは?と中を開けると「クリスマスカード」であった・・・
あの時の・・・
そのクリスマスカードに描かれた文字と絵は、手作りで作成されており、どこか教室にでも行き習ったかのような出来映えだった。
書き手の想いが溢れ出るような優しいクリスマスカードであった。
そこには、「あなたのために」という文章から始まっていた・・・
が、それ以上は深く見ることはせず封筒へ“そっと”しまった。
内容から推測するに恐らく、特定の人物へ贈ったものではなく、何枚も用意し不特定多数の人へ贈ったものであろうと思った。
だが、この様子を見ると貰った女性には、どうやら必要のない“もの”と、私には映った。
双方の気持ちを理解しながらも処分に困る私・・・
考えた末、丁重にゴミ箱へと入れるしかなかった。
とんだ、とばっちりである・・・
捨てなきゃいいという状況ではなかったんですよね…
今回の件を自分の経験に例えるならば、どんなに応援している芸能人が「視聴者のために」と、叫んだところでピンと来ないものである。
それよりも、その人が自分の私利私欲のため、無我夢中になっている姿の方が、視聴者に刺さる場合がある。
こんな不可思議現象は職場でも存在し、
早く帰りたいから・・・
自分はこうしたいから・・・
自分のためだから・・・
というときこそ、何故か感謝されるものである。
こう考えると「あなたのために」という言葉には、その人物の下心が映りやすい傾向なのかもしれない。
ただ唯一、その言葉に「本物」というものが存在するというならば、子と親の関係くらいしかないのかもしれない。