「夢」を見ることが好きな人間の行く末
最近、とてもよく寝る。休憩中も寝る。寝ても眠い。それでも寝ることへの欲求は絶えることがない。
夢の中はとても居心地がいい。
現実世界よりも文明が発達していて楽しい。
恐怖を感じることもあるが、そのほとんどは自由だ。
ただ、もっと自由に夢を見たい。
現実の世界では「これは夢ではない」と簡単に判断できるのに対し、夢の中では「これは現実ではない」と判断できないのがとても悔しい。
1度だけ夢を自由に見たことがある。
現実では想像できなかったこと、不可能だと思ってたことが次々と解明され物凄いスピードの情報量で展開する。
そういう夢を明晰夢(めいせきむ)という。
この状態時に、現実世界でこれを発表すれば私はノーベル化学賞ものだと確信したのだったが夢は夢なもので、起きたら何も思い出せなかった・・・
この明晰夢を見るには“夢を自覚する訓練”が必要となり、できるだけ夢の内容を記録することにより「これは夢だ」と自覚できるようになる“らしい”が、私の場合は金縛りを無理やり解くかのような気合であった。
この明晰夢は2000年に入る前から実験や研究が進んでおり、今ではもっと進歩し身近なものとなっているのであろう。
ただ、本来睡眠というのは脳を休ませるものであるため、覚醒状態である明晰夢を見ることによって脳への負担が増えるのは多少の危険性をはらむので気を付けたいところだ。
夢とは本当に興味深い。
こんな夢を見た、あんな夢を見たといって、これは何か意味があるのではないかと必死に調べる。
そんなことをしたからといって結局何が起きるわけでもないが、やっぱり人は夢を見続けるのが好きな生き物だ。
まあ、そんな好きな夢も死んでしまえば、ずっとこんな感じで見続けるんだろうなと思うと、この現実世界こそが夢なのかなとも思う。