家康のプロレス人生

安倍政権を批判し、新日本プロレスに忖度するブログ!

【内藤哲也の放つエネルギーに誘われて・・・Ⅱ | 新日本プロレス】

2/24内藤哲也“自伝”一トランキーロの真実一を拝見致しました。

 

2016年〈G1〉クライマックス優勝決定戦の切符を懸けた両国国技館での内藤哲也 vs ケニー・オメガの注目の一戦。

 

f:id:Ieyasu:20190227095235j:image

(出典:新日本プロレス公式)

  

この試合は『アナタの2016年・新日本プロレスMVP&ベストバウト』で見事1位を獲得した試合。(東スポが選ぶベストバウトは〈G1〉クライマックス公式戦の丸藤正道vsオカダ・カズチカ)

 

内藤哲也は引き分けでも決勝へ通過出来たが結果は28分12秒、片翼の天使でケニー・オメガの勝利。

 

「ケニーと試合をしていく中でワクワクが止まらなくなった」

「もっとケニー・オメガとプロレスをしていたい」

(引用:新日本プロレス公式)

 

 

 

というケニーとプロレスに対する純粋な気持ちから、時間稼ぎという姑息な手は選ばず決着という道を選んだ内藤哲也。

 

そこからケニーは、決勝で後藤洋央紀に勝利し初出場、初優勝、外国人初の優勝という初めて尽くしの偉業を成し遂げ、スターへの階段を上る訳なのですが・・・

 

この悔しい結果に終わったのにも関わらず内藤哲也は、 

  

「ケニーと戦ってみて、いい対戦相手を見つけたなと思った」

「優勝決定戦を目の前にして負けた事は凄い悔しいですけど、どこか清々しいものもありました。」

(引用:新日本プロレス公式)

 

 という、自分を踏み台にした対戦相手を褒め称えるコメントを残しております。

 

 

こんなコメントが出来る背景には、まだまだ内藤哲也に余裕を感じますよね。

 

 

 

4月の両国国技館で新日本の至宝を手に入れるも、6月の大阪城ホールで陥落。

 

無冠のまま挑んだ〈G1〉ではあと一歩が届かなかった。

 

 

さあ、どうしよう・・・

 

 

ってファンならなりますよね?

 

 

それでも内藤哲也は、この年、東スポが選ぶ「プロレス大賞MVP」を初受賞するという快挙を成し遂げる。

 

 

 カリスマは負けてもカリスマ

 

 

もしあの日・・・ケニー・オメガが当時のロスインゴ旋風の勢いに負けていたら・・・

 

 

ここまでの大躍進は難しかった「かも」しれません。

 

 

ケニー・オメガというプロレス界の宝をアシストした内藤哲也・・・

 

 

純粋な心、一生懸命な取り組みがあったからこそ、転んでも更に上にいけたのかもしれません。

 

 

 

話は変わりまして、この時、家康・・・両国国技館におりました。

 

 

内藤哲也が放つエネルギーに誘われて・・・(単純)

 

www.xn--n8ji5cue2e.com

 

 

えぇ

 

 

「デ・ハ・ポン!!!」

 

 

の、お祓いを受ける為に・・・

 

振り返ると人混みがあまり好きではない家康が、家畜のように何も考えず自然と足を運んでしまった初めての両国国技館。

 

チケットはだいぶ経ってからの購入の為、2階席の一番後ろ。

 

 

これがね・・・見えるけど見えない。

 

 

内藤哲也とケニーの“ツバ”なんか当然見えない・・・

 

この時、会場から笑いが起きていましたが全然理解しておりません。(後でワールドで確認)

 

事前にネットでどんな感じか調べていましたが、思ってた以上に見えるけど見えない・・・

 

それでも、10何年振りのプロレス観戦という事で、雰囲気を味わいながら応援しました。

  

 

この時、内藤哲也へは

 

 

「早く脱げ!」

 

「もっと焦ろ!」

 

 

と、ヤジが飛んでおりましたが、

 

 

「後藤とケニーじゃダメなんだよー」

 

 

という期待の声も飛んでおりました。

   

結果はご存知の通り内藤哲也は負けてしまい・・・目的だったお祓いは受けれず・・・

 

それでも今後の為に、どの席なら良かったのかしばらく探索。

 

升席へは入れませんでしたが、2階席の一番前はかなり良いかもしれませんね。

 

 

内藤哲也から始まった久々のプロレス観戦

 

 

引きこもりではないのですが、人が集中する場所へは敬遠しがちな人間をここまで動かすとは・・・カリスマの力は凄い。 

 

帰りの電車の中で余韻に浸りながら、次は2階席の一番前だな・・・それか選手との距離が近い後楽園ホールかな・・・なんて思いながら・・・

 

結論・・・『新日本プロレスワールド』で観戦したほうが良い・・・となり、この日イエツァーが誕生したのでした。