日本人だけではない非常に間違った現代の「クリスマス」と「イヴ」の認識
東京のクリスマスというのは全然クリスマスらしくない。どんなに街がイルミネーションで彩られようとも「雪」にまさる飾りはない。
さて、そんな“ひねくれた奴”をよそに賑わいをみせるクリスマス・イヴですが、そもそもどういう日なのでしょう?
24日のイヴの日は何が何でも恋人を探し出し、聖なる夜にプレゼント交換をして男と女が絆を深める日で、25日はその分ゆっくり家族と過ごしたり、傷心した気持ちを慰めてもらう日だと今の今までずっとそう思っていましたが、どうやらちょっとその考えは・・・
今日で改めないといけないようだ。
そもそもクリスマスとは?
・キリスト教の祭りである。イエス・キリストの誕生を祝う日であり、決してキリストの誕生日ではない。
・24日の日没後から25日の日没までの1日をクリスマスという。25日の夜はクリスマスではない。
・キリスト教で最も重要な祭りと位置づけられるのはクリスマスではなくキリストが三日目に復活したことを記念する復活祭(イースター)である。※春分の日の後の最初の満月の次の日曜日
クリスマス・イヴとは?
・前日や前夜祭という意味はなく、あくまでクリスマスの一部であり「クリスマス当日の夜」
・24日の日没後から24日の0時00までの夜のことをクリスマス・イヴという。
・日本では「恋人と過ごす日」という認識が「家族と過ごす日」とされる欧米諸国よりも多く、宗教行事としてではなく、ただのイベントとしての捉え方が多い。
・また、イヴをクリスマスの前日と誤認している人が多いため、クリスマスの前々日である12月23日を「イヴイヴ」と呼ぶ日本独自の誤った使い方は欧米から嘲笑されている。
日本で最初のクリスマス
1552年、山口県にフランシスコ・ザビエルと共に訪れたコスメ・デ・トーレスが信徒を集めて12月24日に行ったのが最初とされる。
ここまでくるとサンタクロースはまったく関係ないのでは?
無関係です。
・もともと貧しい人や子供などを助けたとされる伝説がある「聖ニコラウス」という人物がモデルになっている。
・その人物の祭りである聖ニコラス祭(サンタクロース祭)と、まったく関係のないクリスマス祭が政治的理由(恐らく)でいつの間にかセットになってしまった模様。
・オランダで「ジンタ・クロース」と呼ばれていたのが米国へ渡り「サンタクロース」となり、最終的にクリスマス・イヴの日に良い子のもとへ夢とプレゼントを持って訪れる存在になった。
ローマ教皇の懸念
「現代の消費社会の中で、この時期が商業主義にいわば「汚染」されているのは、残念なこと。このような商業主義による「汚染」は降誕祭の本来の精神を変質させてしまう恐れがある。
降誕祭の精神は「精神の集中」と「落ち着き」と「喜び」であり、この喜びとは内面的なもので、外面的なものではない。
クリスマスには聖書を読んで学ぶべきだ。政治や株式市場など俗世の出来事にどう関わるべきかの啓示は聖書の中に見つけられる。貧困と闘わなければならない。資源を公平に分かち合い、弱者を助けなければならない。強欲や搾取には反対すべきだ。
クリスマスはとても楽しいが、同時に深く反省すべき時でもある。私たちはつつましく貧しい馬小屋の光景から何を学べるだろう。」
最近、クリスマスの日を迎えてもピクリとも思わなくなってしまったのは、こういう真実が私に訴えかけていたからなのだろうか・・・
現代社会においてクリスマスの日に一人で過ごすというのは、もはや「勝ち組」なのかもしれない。